学生時代のアルバイト

セミナー参加のススメ

 

コーハマです。

 

昨日はjavascriptの初学者向けのセミナーに参加してきました。

人材派遣会社が無料で実施しているセミナーで、WEBデザイン会社でHTMLのコーディングなんかの仕事をしている人たちのスキルアップをサポートしている感じのものだった。

内容はと言えば変数の宣言とか条件分岐の書き方などなど、ほんと初歩的なことで来ているのも「プログラムは書いたこと無いけどHTMLはなんとかわかります」って具合の30歳前後の女性とかちょっと若めの学生っぽい男性とかだった。

かく言う僕自身、プログラミング初心者なので丁度良かったです。

 

 

 

最近、この手合いの勉強会への参加は自分にとって有益なんじゃないかな、と思う。

そんなことを言うとプログラマーの方々からは「んなもん自分で調べてやれよ!ggrks!」って鼻で笑われそうですが、基本的に社会人になると勉強するときには学習プロセスを組み立てるという作業が必要なんですよね。

で、学習プロセスは立てられたとしても一連の流れの中で人それぞれ苦手なフェーズっていうのがあると思うんです。

ある人は本とかを読んで内容を覚えるのが苦手だったり、はたまた資格試験を受けようという人で合格までの行動計画を立てるのが苦手な人もいるでしょう。

そもそも何を勉強いいかわからない、なんて人もいるでしょう。

でも、なにより大事なのはそれらのプロセスにおける自分の得手不得手を把握しておくことだと思います。

 

そんな僕はインプットに関しては勝手にできてしまうのですが、アウトプットつまり演習問題を解いたり実践したりという実際に手を動かすのが非常に苦手なのだ。

だから、箱の中に詰められて強制的にやらされるというイベントを作ることで知識の定着を図るのである。

 

まぁ、面倒ですけどね。

 

面倒ですが、こうすることで苦手なアウトプットが少しでも克服されればと思いつつカタカタと手を動かすのでした。

案外やってみると「あれっ!オブジェクト指向ってそゆこと?」みたいな発見もあったりして、自分のドシロート具合を再確認できて良かったです。

 

 

僕がやってたアルバイト

てな感じでセミナーに参加した僕ですが件の派遣会社が主催しているセミナーは他にもたくさんあって、マナー講座から簿記や貿易事務などなど分野別にあれこれ行われており、恐らくそこの会社に登録されている派遣社員がスキルを磨く為に参加しているのだろう。

 

思えば僕が”スキル”という言葉を意識するようになったのは社会人になってから。

同級生に置いてけぼりを食らった(と自分では思っている)のを機に自分が如何に足りてないかを悟った22歳…この先、挽回するには何が必要か?と問うた時に初めて”スキル”という言葉が意識の中に入ってきた。

 

今になってですが、本格的にアルバイトを始めた大学時代からスキルを意識していれば得られたものもあったかもなぁ〜とか、あるいはアルバイトの選び方も少し違っていたんじゃないかな、なんて考えました。

 

 

ちなみに僕が学生時代にしてきたアルバイトは

  • 家庭教師
  • コールセンターの受信
  • セブンイレブンの店員
  • デパ地下(寿司屋)の店員
  • しゃぶしゃぶ屋のキッチン

 

初めてのアルバイトは19歳の時、大学一回生の春にした家庭教師だった。

親父の知り合いのとこの男の子(中学一年生)を週に2回教えることになったのだが、このガキがとにかくバカでこっちが勉強教えてる最中に突然歌い出したり、意味わかんないこと叫んだり、しかも母親もおとがめ無しで「んもぁ〜、◯◯くん。ちゃんとしなさぁい」みたいな感じ。

出てくるオヤツだけは毎回ケーキとかパフェとか超立派で、要するに典型的なお金持ちのボコちゃんだったのだ。

 

そんな状況ではあったものの、保護者からは「定期試験で5教科合計400点以上取らせてやってほしい」との要請があったのでどうにかしてみようと思索しながら文字通り手取り足取り教えることになった。

で、我慢しながらガキの相手をしてたのだけど初めての中間テストの一週間前に事件勃発。

件の母親から電話が入る。

 

 母「コーハマ先生ぃ、今日なんですけどぉ、悪いんですけどお休みということでお願いしますぅ」

 僕「えぇ? ◯◯くん、具合でも悪いんですか?」

 母「いやぁ、◯◯ちゃんが『テスト勉強は一人の方が集中できる』って言ってるんでぇ、今日は自習させようと思ってぇ」

 僕「はぁ…じゃあテスト明けまで行かなくていいんですね。 わかりましたー」

 

で、テスト明け。

 

 僕「◯◯くん、テストどうだった? ちゃんと400点以上取れた?」

 子「ぜんぜーん!むずかしすぎてむりー!」

 僕「えぇ? 自習やるっつってたでしょ。 何点だったの?」

 子「合わせて250点ぐらいかなー」

 僕「全然足りてないじゃない」

 子「うん。でもねー、パパがねー、『◯◯は頑張ったから』って5万円の自転車買ってもらったから全然よゆー」

 

この一件があって僕はブチ切れて仕事を辞めた。

たった2ヶ月間の家庭教師生活だった。

 

5万円って、週2回時給2000円の僕の月収より多いじゃないかーってのもありますが、何よりも親子揃って完全にバカだと悟ってどうしようもなく虚しくなったことが一番のポイントでした。

 

 

辞め際に例の母親に「この子の成績が上がらないのはあんたたちのせいじゃないの」と言ったような言わなかったような…記憶が定かでないが、とにかく短期間で見切りをつけた。

それと同時に家庭教師はもうしないって決めました。

 

理由と言うと、一つは「僕おらんでももええやないか」という感覚で、もう一つは 多分、”構造的に間違ったもの”に対する拒否反応なのだろう。

前者は人の尊厳に関わることなので(んなたいそな)共感してもらえるとは思うが、後者は僕の弱いところでもある。

 

自分が対峙している組織とか集団なんかがあって、そこに”おかしな空気感”みたいなのが流れていたとする。

で、その”おかしさ”が組織に起因する問題だと確信してしまうと、帰宅部バンドマンの個人主義者な僕はどうもお手上げと言うか弱ってしまう。

 

 

例えば、

 

上記のようなイタい教育方針の親子とか

 

”先輩の言うことは絶対”みたいなノリで理不尽な後輩いじめが慣例的に許されている部活とか

(身近な人の実体験より)

 

”我が社の伝統だから”と結婚式の余興で変な踊りを踊る人がわんさかいる大手企業とか

(これ、よくあるんですよね)

 

なんか「うちはこうだから」とか「これが普通だから仕方ない」とか変な感じが”空気感”のせいになっている節があるので不気味なのだ。

しかも、当事者はおかしいことにすら気づいてなかったりするから始末が悪い。

 

件の親子も「そんなことしたら甘えて勉強しなくなりますよ、この子」って仮に言ったとしても

 

 母「うちの子が自分でやるって言ってますしぃ。 ねぇ、◯◯ちゃん」

 子「何点でもお小遣いもらえるし、よゆー!」

 

となるだろう。

授業を休みにされるとその分給料も減るので不採算でもある。

 

 

当時は感覚的に肌で捉えていたことで本能で回避していたのだが、今この年になってもこういった”構造的におかしいこと”に直面することがよくあるので出くわした時に身の処し方には気をつけている。

諦めそうになる気持ちを一旦ニュートラルにして受け流すという…ぶっ壊してしまいたくなるって言うのが正直なところではあるんですがね。

 

外資系の凄腕コンサルタント!とかベンチャー社長!みたいにカーネギーばりに人を動かして問題を粘り強く解決すた、みたいな話ができればかっこいいんでしょうが、如何せん構造的な問題は厄介なのである。

 

 

 

 

スキルの話からだいぶ逸れてしまいました。

 

何が言いたかったかと言うと、例えば今回でいえば、もう少し家庭教師の仕事も続けてみて教え子の成績アップを実現したよ〜、なんてエピソードがあればもうちょっと(就職活動の自己PRなんかにも)良かったのかもしれませんね、と言うこと。

もっと言うと、給料=我慢代みたいな発想じゃなくて、”変な空気感”の壁を超えたところにある自分の成長(=スキルのようなもの)を意識できたら景色は違っていたかも。

発想一つで得られるものも変わってたかも、というお話でした。

 

社会に出てからの仕事の現場でも、大なり小なり人を動かす必要に迫られることがある(というかそれが占める割合は思っていたより大きい)ので、当時の状況で家庭教師として教え子に向き合い、成績アップを実現できたのであればとても素晴らしい経験だっとろうな、と思う。

 

 

まぁ、実際、よその子の成長を喜べたかどうかはわかりませんが…

 

 

 

 

 

その他のアルバイトでも、悲喜こもごもありました。

つづきは今度ね。