リーマンショック世代の思わず抱きしめたくなるブログ

元バンドマン 文系 27歳 転職3回 どうにもならないなりにやってみる日々

”アレ”を身につけているとクビになる! 外資系コンサルティング会社の意外なルール

外資系コンサルに備わる思考

以前のエントリーで僕の前に居た会社の社長の話を書きましたが今回はその人と一緒に居た時に垣間見えた外資系コンサルの一面について書きたいと思います。

 

それは一つの数珠から始まった

その日、渋谷のはずれでとある新規の見込み客との打ち合わせがあった。

社長と僕ともう一人同席していたと思う。

 

打ち合わせで出てきたのは若い営業担当とその上司である30〜40代と思しき営業。どちらも男性だ。

雑談もそこそこに話は提案へ移ったのだが、先方の上司があまり品の良い感じの人ではなく、なんとなく軽はずみな言動も目立つ。

眼鏡をかけて派手目な黄色っぽいねくたいに柄物のシャツ、右手には数珠がはめられていた。

 

打ち合わせが終わりタクシーに乗り込んだ僕たち。

渋谷駅に向かう車の中で社長が僕に問いかける。

ちなみに社長は「あのさぁ?」と人を呼びかける際、「さ」の部分で一旦下がって語尾をニュ〜っと上げる癖がある。

 

 社長「あのさぁ?コーハマ君さぁ、あの人の右手見た?」

 僕「数珠はめてましたよね?」

 社長「そうそう、数珠ね。あれ、オレが前居た会社でやるとクビなんだよねぇ。」

 僕「クビ!?なんでですか?」

 

 

なんと!

外資系コンサルでは右手に数珠をはめている社員はクビになるのだという。

なぜなのか?

 

 社長「”神頼み”する奴はその時点でアウト。組織の問題とか与えられた課題の全部を”自分でコントロールできる”と認識するところから仕事が始まるんだよ。」

 

すべては”コントロールできる”という前提に立つ

これは僕聞いた言葉の中でもかなりのインパクトがあった。

 

僕の先輩は特に”オーナーシップを持て”ということを社長からしきりに言われていた。

自分の仕事、関わっている会社に対してどれだけ”自分のこと”と思えるか、さらにはそれをどこまで強烈に自分が引っ張り回せるかということが求められるのだと。

要するにすべてのことをまずコントロール可能だと思うことが必要なのだ。

逆を言えば、それがない人というのは社員の絶対条件をクリアしていないことになるのでクビの対象になるのだという。

 

かなり体育会系で根性論的な側面も強い発想なんだけど、巷で語られる外資のイメージにぴったりな考え方でもあるのでとても含蓄のある話だ。

 

 

西洋思想はコントロール 日本は調和

先日、日本庭園のある茶室でお茶を頂いたことがあったのだがそこの庭がとても奇麗だった。

和室の縁側から見える庭には蓮が浮かぶ大きな池とそれを囲うように立派な松がいくつかあり、苔の生えた灯籠や小さな井戸がさりげなく建てられている。

遠くの方まで自然がいっぱいの庭で、いろんなものがそこら中にあるのだけど乱雑な印象はなく目に染み入るような落ち着きのある風景だった。

 

その茶室の方にこの庭についていろいろ教えて頂いたのだが、その中に日本の数寄屋建築の発想、特に「借景の美」というものを教えてくれた。

日本の美は調和を重んじていて、自然にあるものの中に人口のものを混ぜ合わせるように作られているのだという。

 

けど日本的な「借景の美」に対して西洋の発想は自然を「コントロール」するという点で違いがあるらしい。

西洋の建築や芸術は確かに左右対称のものが目立つし、それは自然すらも”統治”するという意思が反映されてのことなのだそうだ。

 

これを聞いて「なるほど!」と先ほどの数珠の一件を思い出した。

 

 

日本人は仕事をする上でも、ある事柄にはアンコントロールラブルな要素が織り込まれているという意識が潜在的にあるのに対して欧米的な発想でいくと”コントロールできてなんぼ”な考え方でできている。

だから日本人は”空気を読む”のには長けているし、調和を重んじられるだけの奥ゆかしさも持ち合わせている。

逆にできる欧米人ほど”コントロールするぞ”という意思も実行力も強いのだ。

 

確かにこの発想を理解した上でなら数珠を付けちゃうことがアウトなのもわかる。

単純に「ドライ」と表現されることの多い外資系コンサルの人たちだけど西洋的な発想と日本のそれとの違いを少しでも理解できれば見え方や物事の取り組み方というのが変わると感じた。

 

こういう根本的な意識の違いというのが会社と建築っていう全然違うジャンルの事例で繋がるのは面白いね。

 

じゃあねー

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