約束の太陽、届けたメロス
男児を救ったボランティアの男性
「大臣が来ようが関係ない。罰を受けても直に家族にお渡ししたかった」行方不明2歳児を発見した男性が会見
山口県周防大島町家房で、家族で帰省中に12日から行方不明になっていた藤本理稀ちゃん(2)=同県防府市=が15日午前6時半ごろ、見つかった。山口県柳井市内の病院に搬送されたが意識はあり、外傷もないという。(毎日新聞より引用)
不明から約3日が経った頃、男児を発見したのは78歳のボランティアの男性だったというニュース。
うちにも1歳半の子供がいるので発見されるまで胸が締め付けられる思いだったが、無事とわかった時に安堵と同時にこのボランティアの男性に強い関心を覚えた。
「〜なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない。理稀ちゃんの顔を見せたときは、お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」
インタビューで上記のように答える小畠さん。これほど強い表現が使われてることに驚きがあった。
一体、この方を突き動かしたのは何だったのか?
自分が行かなくても大勢の警察が捜索しているのにそれでも「行こう」となぜ思ったのか。
待たせる葛藤を抱えたメロス
「メロスは激怒した」の一節から始まる"走れメロス"は、人間不信の王様から処刑を言い渡されたメロスが友人のセリヌンティウスを人質にして3日の猶予を得て妹の結婚式に参加し、セリヌンティウスの待つ地へ走って戻るというお話だ。
メロスは一度は諦めそうになるものの期限ギリギリに目的地に辿り着きセリヌンティウスの処刑は免れる、という形で物語は幕を閉じる。
この話では切り取り方によって友情や人を信じることの大切さというテーマが掲げられているが、同時に「待たせる側の葛藤」も描かれている。
メロスは友人を人質にすることで時間の猶予を得たものの、約束を破ればセリヌンティウスとの友情を証明できなくなる。
守るべきどこかに置いてきた約束の存在がメロスを走らせる動機となっているのだ。
自ら結んだとは言え、約束の存在に縛られるメロスの葛藤こそ人間味を感じさせる部分だと僕は思う。
約束の朝を携え、走れ
人の集中力は、ある時急激に凝縮され塊のようになる。
それが普通では考えられない成果をもたらすことがある。
今回のニュースはまさにその一例だろう。
件のボランティアの男性にどんな経験があり、何が彼をこれほどまでに動かしたのか伺い知ることはできないが、もしかしたら彼の中にはメロスのように急がねばならない強い気持ちにさせる何かがあったのかもしれない。
ふと、そんなことに思いを馳せてみる。
インタビューの最後、彼の言葉が非常に印象的だった。
記者に座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答え、理稀ちゃんには「人の痛み、悲しみのわかる人間になってくれたら」と話していた。
彼にも待ち侘びた朝があったのだろうか。
来なかった朝があったのかもしれない。
奇しくも男児が発見されるまでの時間は、メロスに与えられた猶予と同じくおよそ72時間だった。
自分が太陽となる、その気概が胸に突き刺さった。
この人がいて良かった。