だれが甲子園の土を「神聖」にしてるのか?
甲子園の土、四千円
甲子園の土が売られているというのが問題になっている。
聞けば「甲子園の土」と書かれた商品がメルカリで千円〜四千円くらいで売られているそうで、これが結構売れているというのだ。
サイトの運営側は特に問題ないとして出品の禁止はしていないとのこと。
ではこれの何が問題なのだろう?
ツイッターで流れている意見では↓
メルカリに甲子園の土出品相次ぐ
— saburo (@saburo_ohmura) 2018年8月17日
悲しいニュースですね。出品するのは自由だけど野球界の神聖な場所の土、
球児でない事を祈る。#メルカリ #甲子園の土
「甲子園の思い出」
— マサじい🏣🏣 (@19681220MAKIO) 2018年8月15日
今、メルカリで甲子園の土が…
なんて話題を見て
なんか神聖な甲子園が……って
気分です。
甲子園での開会式演奏を
含めて、甲子園の土は何度も
地元の特権で踏んでますが
やはり「甲子園」は球児で
なくても聖地です。 pic.twitter.com/lQAwsKuid3
どうやら甲子園の土というのは神聖なもので、そんなものを売るのはけしからんというのが否定派の意見のようだ。
つまりは甲子園の土を売るのは道徳的な意味でいただけない、というのがダメな理由なのだ。
僕は正直、甲子園の土には興味がないので「どうでもいいなー」と思ったが、これが売り買いされていることに興味を持った。
長澤まさみのブラジャー 〜バカが売って、バカが買う〜
対象が土だからよくわからない人もいるかもしれないので別の商品で考えてみる。
あなたが例えば長澤まさみのファンだとして、彼女が昔付き合っていた(らしい)男がメルカリに「長澤まさみが飲んだ(らしい)ペットボトル」とか「長澤まさみから届いた(らしい)手紙」とかを出品されていたとしよう。
それはただの物に違いないのだが、ファンとしては長澤まさみが本当に手にした物であるなら欲しいと言う人は必ずいる。世の中は広いのでその中には、「ニセモノの可能性もあるがもしかしたら」と期待をしてそのまま買ってしまう人も少なくない。
逆にそれが本物であるという保証があれば一瞬にして売れることは間違いない。
長澤まさみが手にしたという物語が付されているだけなのにそんな葛藤を多くの人が感じ、時に行動を起こさせるのだ。
さらには「長澤まさみが付けてた(らしい)ブラジャー」が1万円で出品されていたとして、これは売れるだろうか?
おそらく売れるだろう。即売れ。
バカというのは果てしない好奇心と行動力を時に発揮するものである。
もし本物だとしたら彼女の両乳房を包み込んでいたであろうこのブラジャーには1万円以上の価値は確実にあるし、最悪ブラジャーなので害はない、みたいなゲーム理論すら展開するだろう。
もはやそこに実態としての長澤まさみは居ないし、居るかどうかは問題にすらなっていない。
(※実際、この例は某オークションサイトで見た)
あなたが長澤まさみに興味のないのなら自分の好きなアイドルやアーティストに置き換えて考えてみるといい。
側から見れば「バカだなぁw」と思いつつ、それを買ってしまう気持ちは少なからず理解はできるはず。
この売り物が本物だったとしてもニセモノだったとしても出品してる奴は浅ましいし、買う奴も同レベルで救いようがないバカに見える。
ただ、物は物語が添えられると人によって自然と価値が発生するのだ。
そしてメルカリでの土の売買は、とりあえずバカ同士の交換であることに変わりないのだが、今回の話題が少し違っていて、問題は甲子園の土が無駄に「神聖」なものと祭り上げられていることに起因している。
なぜただの土が「神聖」なものになったのか?
それは高校野球特有の消費のされ方が関係している。
甲子園を美しいものにしすぎじゃない?
高校野球は野球と言っても消費のされ方としては「純粋な高校生が必死に汗を流して白球を追う」といういわゆる"感動"消費によるところが大きい。
高校野球という利害の絡まない純なスポーツに勤しむ青年の姿に心が洗われる…そんな「ある種不純」な大人のエゴが人気の背景にあるともとれる。
上のツイッターの意見でも「神聖」と表現されているが、僕からするとそれは大人が勝手に純粋なものを「神聖」だと思っているだけで、当の選手たちの素性も何も知ったところではないのが実際だ。
それに神聖なものだからと言うものの、そもそも未だに負けた球児が疑いなくやっている「土を持って帰る」という行為の意味がよくわからない。
おそらく甲子園の土の上での戦いに負けたことで「このことを忘れまい」「もう一度この土を踏みに来るんだ」みたいな心情を表現するのが"土を持って帰る"という行為なのだろうが、球児がそこまで考えて土をかき集めてるというよりは「テレビで観たあの場面」を再現してる自分に無意識的に浸っているともとれる。
ただ、高校野球を観てる人は無意識に感動的な試合が繰り広げられる甲子園を神聖なものと考えちゃうし、そこで青年たちが涙しながらかき集めたその土は「神聖」なものの形かる象徴として捉えてしまうのだろう。
ただ冷静に考えた時に、もとい土自体に価値があるとは到底感じない。
とはいえ「その土、ニセモノだよ」とか「土は土でしかないよ」と諭したところで欲しくて買っている人には少なくとも数千円の価値があるようだし、人の心を変えることは難しいので買うバカも売るバカも放っておくのが正しい。
甲子園の土に限らずあらゆるものが勘違いで値付けされているのだし、いまさら目くじら立てなくてよし。