音楽はこれからどうやって生き残っていくんだろう 東インド会社を見習おう!

コーハマです。

 

こないだ髪を切ったんですけど、切った翌日にいつも行ってる整骨院に行くと先生から「美容室行きました?」って聞かれた。

気づいてくれて気分がいいな〜なんて思ってたら「シャンプー台かな?首が捻挫してますね。」って言われました。

関節って僕らが想像するより簡単におかしくなっちゃうみたいです。

皆さん、気をつけてください。

 

先日、音楽のビジネスモデルは破綻しているということを書いた。

 流通で稼げないなら出資という形で持続的な創作活動をファンに支えてもらう、という主旨のことだったんですが、コメント見てると同じような問題意識を抱えた人がいるんだなぁということが伺えた。

なので、もう少し踏み込んで考えてみた。

 

そもそも音楽は金払って聴くもんじゃなかった

まず、前提として「そもそも音楽はお金を払って聴くもんじゃない」という発想に立った方が気が楽になるんじゃないかな。

 

その昔、流通モデルが確立するまでは音楽をする人は宮廷おかかえの身分か路上で演奏してお捻りもらうような、今で言うストリートミュージシャンがそれにあたる。

だから、歴史的に見て曲単位でソフトを売るというのが根付いたのは20世紀以降なのであって、ものの成り立ちから考えてみると 今の流通モデルは音楽がたまたま”売りやすい”形にパッケージされたから出来上がっただけで本来はお金を払って手にするものではなかったのだ。

 

他の芸事が未だに収益の主軸をライブにしているのに対して音楽はソフトウェア主体のビジネスモデルで大きくなり過ぎたため、今になってその形から抜け出せずに前時代的な流通形態で粛々と食いつないでいる。

なまじレコード会社は音楽業界隆盛の中で流通やクレジットに関わるしがらみを蓄えてきたため、CDが売れなくなったからといって新しい方法を模索しようにも簡単に手段を鞍替えすることが困難なこともわかる。だから大手のレコード会社はこの先、生きていくのがより難しくなると思う。

 

けどそれはたまたま音楽がコンテンツとして”売りやすかった”だけのこと。

元をたどれば、今みたいにネットワークが発達してない世の中で音楽聴くのにはそれ相応の労力がかかったためにお金払ってレコードなりCDを買うということが行われていたというだけであって、コストが下がれば当然この形は存続し得なくなる。

じゃあ音楽業界はどうなっていくのだろう。

 

金融の発想で考えてみる

既存の音楽業界という大枠で考えた時に上記のような問題が横たわっている訳だけど、一方で今はネットワークが発達したおかげで個人の発信の場が限りなく広がった。

これは一つの希望だと思う。 

 

個人が集客できる(=人が集まる)ということは広告業なりビジネスの芽が個人やバンド単位にあるということで、つまりはメディアとして成り立つということだ。

そして、人を集められるということはお金を集めやすいということでもある。

 

コンテンツを作る能力とマーケティングの発想があるなら、レコード会社に中抜きされず才覚次第で一気通貫のビジネスができる。

そこでお金が必要なら、思い切ってフォロワーに「お金出してくださいー!」って呼びかけてみてはどうだろう。

すごく小規模だけど、金融の仕組みがうまく働くかもしれない。

前にコメントに頂いていたようなクラウドファンディングの発想だ。

 

”金融”って、お”金”をあるところからないところに”融”通することで、基本的な仕組みは株式会社の先駆けである東インド会社から大きくは変わっていない。

各アーティストがそれぞれ東インド会社になって、フォロワーはちょっとのお金をアーティストに出資して、良い曲とか良いライブっていう対価をフォロワーに支払う。

今までの”ファン”って概念よりも近い関係になるはずだ。

 

まぁ、その分昔みたいに大きくは稼げるアーティストは少なくなるだろうけど、元を正せば音楽なんてお金払って聴くもんじゃない。

ひとひらの夢を重ねるのもあるべき形の一つだけど、逆に”良い曲作るために生きてます”みたいなストイックな人が相対的に増えるんじゃないかな。

 

いかに長続きできるか。いかに生き延びるか。

 

一見すると消極的だけど、僕たちの世代においては音楽だけにとどまらずこの発想を常に持ち合わせていることが肝要だ。

 

 

 

↓慎泰俊さんの本はいいのが多いです。 

15歳からのファイナンス理論入門―桃太郎はなぜ、犬、猿、キジを仲間にしたのか?

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